センセイプレイス

横浜市立 大学

横浜市立大学 看護学部
  • 現役生
  • 神奈川県

「物理で学年ビリから2番目...」→勉強法を変え横浜市立大学合格!

合格校
中央大学理工学部、日本大学歯学部

ざっくりまとめ

  1. 1強豪運動部に所属しながら猛勉強!
  2. 2長時間勉強しているのに、物理は学年ビリから2番目に...
  3. 3学校の先生の紹介でセンプレに入会。学年でビリから2番目だった物理が偏差値65に

センセイプレイス入会前

「物理の偏差値43」学年のビリから2番目の成績に絶望。

――当時の状況について教えてください

当時の自分を一言で表すと「THE体育会」です、当時は強豪のラクロス部に所属していて、朝練と放課後の練習が毎日ありました。一応オフの日もあったんですが、そのオフの日でも朝練があったりと基本的にボールに触らない日はないという感じでした。副部長をやっていたというのもあって、責任もありました。

進学面では、自分のクラスじゃない生徒でも指導をしてくれる熱心な英語の先生が1人いて、みんなその先生に感化されて勉強を頑張っていました。私もその先生の影響を受けて高1の頃は朝3時に起きてから6時まで勉強、そこから学校に行って部活して、その後は自習室で20時まで勉強、家に帰った後も少し学校の課題をやって、22時~22時30分には電池が切れて寝るみたいな生活を送っていました。

高1の頃は部活と勉強の両立も頑張っていて、実際に勉強もたくさんしていたので成績は良かったです。特に英語に関しては熱心な英語の先生の影響もあって、英単語2023個を全て覚えていました。

高1の頃に勉強を頑張っていたので高2の一番初めの模試では成績が少し上がりました。元々は神奈川県立保健福祉大学を目指していたのですが、成績が上がったこともあって学校の先生から「志望校を上げてみたら?」と言われました。そこで志望校を阪大に上げてみることにしたんです。当時知ってる大学が東大と阪大しかなくて、でも東大は難しそうだなって思ったので阪大にしました。志望校を阪大にはしてみたのですが、正直合格する自信はほとんどありませんでした。なんとなく、「とりあえず阪大」と言ってみたくらいの感覚です。

志望校を阪大に上げた後、高2の2回目以降の模試で成績が落ち始めてしまいました。英語は高1から勉強していて、結構出来たので偏差値60を超えていたんですが、英語以外の偏差値はずっと60を超える事はありませんでした。

高2になってからは部活の副部長になって責任も増えてしまったのもあって、自然に勉強時間が減っていきました。部活後にやらないといけない事が増えて自習室に行けなくなったり、高1の頃は3時起きだったのが、5時に起きになったり。

高2の頃の勉強時間は多くて1日3~4時間程度でした。当時は周りの人がたくさん勉強していたので焦りがあったのを覚えています。学年で勉強時間を計測するアプリが流行していて、勉強時間でマウントを取るみたいな風潮があったんです、私も意識の高い友達とフォローし合っていたんですが、やってる参考書のレベルも勉強時間も全然追いついてなくて。すごい子なんかは高2の終わりに3000時間近く既に勉強していて、結果的に東工大に合格した子もいました。

自分は特進クラスにいたので、高2の1~2月頃に周囲の成績が上がり始めて焦りました。
勉強と部活の両立がキツくなってしまったので、当時副部長をやっていたんですが皆の引退よりも早い高2の2月に部活を辞めることにしました。部活のみんなは優しかったので何も言われませんでしたが、空気的にも自分の気持ち的にも「絶対に受からないといけない」って気持ちがあって、受験期もそれがしんどかったです。

部活を辞めた後の2~3月は部活を辞めた事への葛藤があって勉強に集中できていませんでしたが、高3の4~6月辺りから猛勉強を始めました。0時に就寝して、4時に起床。朝ごはんを食べながら勉強をして、トイレの壁にも単語を貼って、1秒も勉強していない時間はないという生活を送っていました。とにかく勉強時間を増やさないといけない、机に向かっていればOKという感覚で睡眠時間も削って計画も立てていなかったので、フラフラでした。体重も5キロ痩せてしまったし、精神的にも不安定な状況でした。

高2の終わりから高3の6月までは不安定な状況が続いていたのですが、そんな中で受けた模試で、物理の偏差値43という衝撃の成績を取ってしまいました。学年のビリから2番目の成績で、絶望的な気持ちでした。

――受験勉強においてどのような課題を抱えていましたか

1つは「理系科目の成績が上がらない事」に悩んでいました、特に物理が苦手で、成績は学年のビリから2番目の偏差値43です。数学も思うよう偏差値は出ていませんでした。高2の最初の模試では偏差値60を超えていたんですが、段々と下がってしまって。偏差値55辺りをウロウロして、高3の初めに数Ⅲに入ってからは偏差値が53~54まで落ち込んでしまいました。

今考えると周りに追いつかないといけないと焦って自分に合ってない参考書をやっていたのが原因だったと思います。基礎も分かっていないのにいきなり問題集をやったりしているような状況でした。

もう1つは「きちんと計画を立てていなかった」事です。「とりあえず参考書を2周」や「〇日までに参考書を3周」だったりと細かい計画をきちんと立てていませんでした。それに加えて、寝ずにやらないと終わらないような無謀な量の計画を立てようともしていました。仮にその計画を出来たとしてもちゃんと身についているかどうか分からないですし、かといって計画を達成できなければ落ち込むというような感じです。

また勉強の内容の部分もあまり考えていませんでした、参考書を選ぶ理由も「みんながやっているから」「良いと言われているから」だったりと、具体的な目的をもって取り組んでいない状況で。英語は1年の頃から勉強していたのであまり悩むことなく学習が出来たんですが、他の教科については参考書を途中で変えてみたりと、大分迷走していました。

特に理系科目は各科目2~3冊の参考書を同時並行でやっていていて、自分でも何をやってるのか分からないような状態です。具体的な目的を持ってやれている訳ではなかったので、当然成績が伸びるはずもなく、勉強してるのに成績が伸びない負のスパイラルに気づけば陥っていました。

精神的にも辛かったですが、とにかく周りに追いつかないといけないという焦りが強くて、すぐに結果が出なければ「参考書が悪い」と参考書のせいにして1~2週間で参考書を変えてしまったり、結果が出ない原因も深く考えていないような状態だったのを覚えています。

当時は阪大に志望校を上げていたし、私が阪大に行きたいってことを知っている友達も数人いて。言った以上は変えられないし、ここで受けるのを止めたらカッコ悪いなって思っていた部分も正直あります。

この頃の私は勉強時間だけが取り柄という感じで、「量をやっとけばとりあえずどうにかなるんじゃないか」って思っていました。みんながやってる参考書に追いつかなきゃいけないと焦って、でも勉強時間は減らせないから寝てる場合じゃないって感じで。それでも成績が上がらない状態で、精神的にも不安定で危ない感じでした。当時は痩せてたし、笑わないしで色んな人に心配をかけてしまっていて、学校の先生に「大丈夫か」って呼び出されたこともありました。

センセイプレイス入会後

夏に入会、学年でビリから2番目だった物理が偏差値65に!!

――センセイプレイスを知ったきっかけは?

高3の6月頃に、例の熱心な英語の先生が学校で馬場センセイのYouTubeをみんなに共有してくれたことがあったんです。その先生は英語の勉強法として共有してくれたんですが、自分には動画の一番最後で馬場センセイ言っていた言葉が刺さりました。

センプレでは「計画をどうやって立てれば良いかわからない」「このままやってても伸びるかわからない」、そういう人に向けて指導をしていると言っていて、まさに自分が困っていることでしたし、「私はこれをやって欲しかった!」って感じでした。

YouTubeの動画を見た後に、HPを見にいって、無料体験指導と返金保証の存在を知りました。そこで親に「一回やって続かなさそうなら、お金が返ってくる期間でやめるから」ってお願いしたら「今のあなたに合ってるんじゃない?一回やってみたら?」と言ってくれたので申し込むことにしました、親も自分が限界に近いことを分かってくれていたんだと思います。当時は本当に苦しくて、助けて欲しい、一回だけでも話を聞いてみようという気持ちで申し込むんでいました、本当に最後の砦というような感じです。

――センセイプレイスを選んだ決め手を教えてください。

センセイプレイスなら本当の不安を言えそうだし、アドバイスを貰えそうだと思ったからです。学校の先生には「阪大を目指して頑張っている姿」しか見せていなくて、先生も私の事を期待してくれていたので「余裕だよ」「大丈夫だよ」って言葉をかけてくれる状況でした。でもその反面、成績は伸び悩んでいて、期待もあったので先生には自分の本当の悩みや
不安は話せていませんでした。

体験指導の時点で センプレには入ろうと思っていたんですが、体験指導のやり取りで今でも覚えていることが1つあって、それが体験指導の先生が「今のままじゃ正直厳しいと思う」って言ってくれたことなんです。

私の場合は十分な勉強量を確保していたから、課題になるのは勉強の質で、既に量だけはたくさんやって来ていた分、他の人に比べると伸びを実感しにくいかもしれないという事をズバッと言ってくれました。ズバッと言ってくれて逆に安心して、この人たちだったら本当に自分の課題を見てくれそうだと思ったんです。

――センセイプレイスに入会してどのような変化がありましたか?

偏差値43で学年でビリから2番目だった物理の成績がジワジワ上がりました。
自分に合った基礎的なレベルの参考書に変えて暗唱するくらいやり込みました、どれくらいやり込んだかは数えきれないですが、トータル30周以上はやっていたと思います。公式だけじゃなくて言葉の意味・定義を何も見なくても説明できるくらいまでやり込んでいったら、どんどん問題の意味が分かってきて。難しい参考書になっても対応できるようになってきて、偏差値も徐々に50に乗るようになってきたんです。

また きちんと勉強計画を立てられるようになったのも変化の1つです、
ガイダンスでサポーターの方に「現実的な計画を立てて、目的意識を持つ」ことを教えてもらったので、「何ページまでやる」「どういう目的でやる」「最終的にこの問題集は○○まで出来るようになりたい」など、具体的な目標や計画を立てられるようになりました。加えて、学びログの他にも自分で紙に記録をつけるようにもなりました、そこで一週間の目標とか一つ一つのタスクの所要時間を全部細かく管理するようにしたんです。

これらの成長を実感した時、「今までの勉強は何だったんだろう」って正直思っていました、今までは「なんでこんなにやっているのに伸びないんだろう」って感じでしたが、自分の頭で何も考えていないのに量だけやっても伸びないのは当然だって、そこで初めて伸びなかった原因を理解することが出来ました。

――受験本番まで、どのように過ごしましたか?

センプレに入会して偏差値が徐々に50に乗るようになってきた物理が最終的に高3の秋頃には偏差値65ほどまで伸ばすことが出来ました、また阪大の数学の過去問もちょっとずつ解けるようになっていったこともすごく嬉しかったです。高3の初めは阪大の数学の過去問が1問も解けていなくて、部分点すら得点出来ずの状態でした、「数学辞めようかな」って考えていたくらいだったのに秋頃には大問5個中3個は完答出来るほどのレベルになっていました。共通テストの数学でも、夏に数2Bが40/100点しか取れていなかったものは、本番では87/100点を得点出来たりと、実力を伸ばすことが出来ました。

物理や数学をここまで伸ばす事が出来た秘訣はやっぱり「基礎的な問題を出来るようになるまでやり込んだこと」にあると思います。数学に関しては基礎的な問題のほかに学校のプリント(入試問題)もやっていて、学校で解いた後に帰宅してからはどこの問題でつまずいたのかを声で必ず確認していました。

苦手な問題はファイリングして、何度も何度も繰り返し解きなおしていました。とにかく回数をこなすために基本は鉛筆を持たずに声を出して何十回も解答を反復するやり方で、歩きながらやったり、電車の中でも小声でやったりしていて、おじさんに変な目で見られてしまった事もあります(笑)

共通テストの2~3か月前に復習の大切さを先生から教えてもらえたのも大きかったです。
センプレに入会したての頃はすぐに結果を求めて先へ進もうとする癖があって、計画で決めた事を早く終わらせては担当の先生に「次は○○と▼▼がやりたい!!」って提案していて。そこで先生に「少し多すぎない?」って何回も止めてもらったことがありました。結果が出た時は「正しくやれば出来るようになる」ってすごく嬉しかったです、特に元々苦手だった理系科目が出来るようになったことが本当に嬉しくて。そこで初めて「こういう勉強すれば良いんだ」っていうのを理解出来るようになったんです。

合格への道のり

共通テストで失敗。それでも諦めずに大逆転合格!!

――受験期で最も印象深い思い出を教えてください

共通テストが全然取れない地獄に苦しんでいたのが印象深かったです、実は元旦にZ会の共通テストパックで仮想本番をしたんですが、そこで自己最低得点を叩きだしてしまったんです。元々先生からは「本当に大丈夫?点数が良かった良いけど、悪かったら落ち込まない?」って何度も確認されていたんですが、自分から「仮想本番をやりたい」って決めて。点数が悪い事は覚悟していたし、Z会の共通テストパックは難しいって噂も立っていたので意外と落ち込まずに「後はやることをやるだけ」って腹をくくることが出来ました。

共通テスト直前期は「過去問を解く・間違えた問題をファイリング・声に出して何度も反復」という勉強をしていました。ただ、直前期で焦りがあるっていうのもあって「1日に過去問3年分!」とか無謀な計画を立てようとしたこともあります。そんな時には先生から「焦って量をこなすよりも復習が大事だよ」って言ってもらえて、無謀な計画を実行せずに修正することが出来ました。センプレで頑張ってくる中で自分はジワジワ伸びるタイプだっていうのが理解できていたので「すぐに結果が出なくてもやめたりしないようにしよう」というのは教訓にしていました。

共通テストの入試本番では物理・化学・地理で大失敗をしてしまいました。採点した時に「うわ ヤバい」って思ってしまって、リサーチにどの大学を出せば良いかも分からなくなって、リサーチの日は学校に一番最後まで残っていたのを覚えています。1月の終わりか2月の初めの方に返ってきたリサーチ結果は全部E判定で、今までで一番落ち込みました。

ずっと阪大の2次に向けて勉強していたのに、2次試験を受けることが出来ない、土俵にすら立てないというのが一番苦しくて悔しかった、絶望的な気持ちです。自分の得点率でも2次試験を受けられそうな国公立の中で一番レベルが高かったのが横市でしたが、初めは仕方なく出願くらいの感覚で、正直浪人も覚悟していたし、「どうにでもなれ」って時期も何日かありました。

受験の結果からいくと、日大は追加合格で合格することが出来ました。合格の電話がかかってきて、とても驚いたのを覚えています。中央は2つ受験したのですが、経営学部は落ちていて。発表のページを開いたら不合格の人は「入学手続き」のボタンがないので察したんですが、理工学部の方は入学手続きのボタンがあって、まさかと思って開いたら桜の画面が飛びこんで来て「合格」と書いてありました。「え!!」って驚きました、というのも本試で理科は自信あったけれど数学でやらかしてしまって、ログにも「多分落ちたと思います」って報告をしていたくらいだったので。

中央の合格を貰った時、親は泣いてくれました。横市は共通テストも悪かったし、傷つくのも嫌だったのであんまり期待はしないでおこうって考えていました。でも、サイトで自分の受験番号を見つけた時50回は見直しました。スクショして親にも送って「これ私の番号書いてるよね!?」って確認したくらいです。担当の先生にDMで報告したらすごく喜んでくれたのを覚えています、学校の数学の先生は「お前ラッキーガールだな!大逆転合格だよ!」って言われました(笑)

――今振り返ってみて、受験の成功の秘訣とは?

先生とサポーターの2人がいたからだと思います、2人がいなかったら本当に無理でした。精神的に不安定な状態でセンプレを始めたので、もしセンプレに入っていなかったら、ただただ病んでいたんだと思います。周囲の友達に「本当に阪大受けるの?」って言われたり、学校の先生に「志望校変えないの?」と聞かれて嫌な思いをした時も全部先生が話を聞いてくれて、心の支えになりました。学びログへのコメントやイイねでもずっと励ましてもらったので、こんだけ応援してもらってるんだから諦められないなって。先生やサポーターが原動力になっていました。

私が勉強していて思ったのはやっぱり受験勉強というのはある程度情報がないと戦えないし、未経験の人が1人で勉強するのはすごく難しいという事です。1人1人の悩みに向き合ってくれる人がいないときついと思います。だからセンプレは「頑張っているのに上手くいかなくて苦しんでいる子」におススメしたいです。相談できる相手がいない、伸びない原因が分からない事はすごく苦しい事だと思うので、一度でいいから話を聞いてみて欲しいです。私のようにそれで救われる人もいるかもしれません。

これは馬場先生が言っていた言葉なんですが、「センプレに入ったから無条件に伸びる」ということはなくて、「結局頑張らないといけないのは自分」だという事です。センプレはその頑張り方のヒントを与えてくれる場所で、すごく頼れるし傍にいてくれる存在なんだと思います。

トップへ戻る
いますぐ!無料体験指導